プレジデントにこのような記事がありました。
『ビンボーでも幸せな人は、なぜ幸せなのか』
http://president.jp/articles/-/22327
以前もプレジデントの記事について日記を書きましたが、プレジデント社の記事は、「眉唾ものが多いなぁ」というのが正直な感想で、ちょっとだけ高級路線をいく”週刊誌”だと思って時々読んでいます。
よく医者というと
- 医師は給料が高い
- 給料が高いと幸せな生活ができる
- だから医師は幸せなのだろう
といったイメージで語られます。
患者さんからもそんなかんじのことを言われることがありますが、実際はそんないことないんやけどなー、と思っています。僕はいつも「まだ研修医やし、ぺーぺーですよー」といって適当にお茶を濁しています。このよくある三段論法についての考えをつらつらと記してみたいと思います。
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Contents
医師は給料が高い
この意見は正しいと思います。ただ、正確に言うと、
医師にしか許されていない医療行為が多いため、必然的に長時間労働となり、労働時間が長いから高給になる
となると思います。ただ、世の中仕事に恵まれない方がたくさんいるので、有り余る仕事に溢れているという点で、我々医師は有利な立場にあるのかなぁと思います。まぁ、休みたいなぁ、と思うこともしばしばですが。
給料が高いと幸せな生活ができる
この意見は僕は正しくないと思います。プレジデントの記事にも関連しているのですが、お金があると物質的に豊かな生活が送れるのは確かですが、それによって幸福感が得られるかと言われると、微妙なところ。結局、独身の医師は、朝はコンビニのパンを食べ、昼はコンビニ弁当を食べ、夜はスーパーの半額のお惣菜を食べています。お金があっても昼にランチに出かけられるわけではなく、毎晩飲みに行くほどの金銭的余裕はありません。
あくまで私見ですが、
お金は幸福を高めるもの、ではなく、不幸を少なくするもの
だと思います。
人生の厄介事の多くはお金で解決できてしまいます。例えば、不幸にも病気になってしまい、日常生活に近い環境で療養生活を送ろうと思えば、病院の個室に入院しよう、という話になるのですが、その場合、差額ベッド代を支払らわねばなりません。
個室に入院することで幸福度は上がりませんが、プライバシーの少ない中、他人と一緒に療養生活するという不自由は軽減されます。
他にも、自動車事故を起こした際にも、相手側への弁償はお金があれば(人身に関わるもの以外は)解決できてしまいますし、争いごとに巻き込まれてもお金があれば弁護士を雇うことができます。
このように、本質的には、お金は幸福を高める、というよりは不幸を少なくする、という性質が大きいのではないか、と思います。
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だから医師は幸せなのだろう
2で述べた通り、「医師は不幸になりにくい」というのが正しいと思います。
じゃあ、医師は幸せではないのか? それは「否」やと思います。
医師が幸福を感じる瞬間は、「給与明細を見るとき」というよりも、「患者さんに感謝されたとき」「自分の思っている医療を実現できたとき」といった比較的”原始的”な喜びやと思います。
僕も最初は4月に給与明細を見たときは幸せでしたが、5月・6月と繰り返し見るにつれ、慣れてきてしまい、給与明細を見てもなんとも思わなくなってしまいました。それでもなお、自分の受け持ち患者さんがよくなると嬉しいもので、幸せって原始的なものなのかなぁ、と思います。
この三段論法は、2.に誤謬があるため成立しませんが、結局は別の理由で医師は幸せなんだろな、ってのが僕の結論です。
まぁ、こんなまじめーな考えの人は多くないのかもしれませんが(´・ω・`)
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