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死亡診断書を書く、お看取りについて考える

vargazs / Pixabay

研修医生活も1ヶ月あまりが過ぎ、もうそろそろ研修医の方々もお看取りを経験された方が多いのではないでしょうか。数人看取り、思い感じたことを記したいと思います。

医師にしかできない社会的任務。その一つに死亡診断を行うことがあります。

出生届けは医師に限らず、状況によっては助産師さんや居合わせた夫等が届け出ることができるのですが、死亡診断書は医師(あるいは歯科医師)にしか発行できません。

目の前で亡くなった人を、確かに亡くなった、と診断するのは医師として社会的に重要な役割です。死亡診断書がないと死亡届を出せませんし、埋葬許可書も手にはいりません。

 

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死亡診断書は、厚生労働省が発行しているマニュアルに従って記述します。

死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル(厚労省のHPに飛びます)

 

しかし、記入する先生によって、死因の書き方はまちまちです。「病態の末期としての心不全は死因に記述しないこと」というのが有名ですが。。。

例えば食道癌で亡くなるとき、死因のI欄にシンプルに

(ア)食道癌

と書いてもよいし、癌の終末期の悪液質を多臓器不全と表現して、

(ア)多臓器不全

(イ)食道癌

と書いてもよいのでしょう。他にも、

(ア)呼吸不全

(イ)多臓器不全

(ウ)食道癌

と書くのもありかもしれません。(でも呼吸不全なんて亡くなる方みんなに起こるのだから書いていたらキリがない気がする)

死因統計ではI欄の一番下に書かれている疾病を原死因とするそうなので、どれでも差し支えないのでしょうが、初めて死亡診断書を書くときには死因をどうしようか、苦戦しました。

 

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閑話休題。お看取りについて感じたことを書きます。たいていは指示に、モニター上でHR<40/minになったらDr. callなどと入れておいて、患者さんが亡くなりそうになったら看護師から報告を受ける、という場合が多いと思います。(もちろんDNRは了承済み、という前提がありますが)

そして、

1:患者さんの病室に赴き息を引き取るのを見届ける

2:患者さんの心停止を病棟詰め所のモニターで確認し、その後病室に死亡確認に赴く

のいずれかの対処をすることが多いのではないでしょうか。

最後のひとときは患者さん、ご家族だけで過ごしていただきたいなぁ、と僕は思います。医療者は所詮は他人です。ですから、1よりは2の方がいいのかな、と思います。その一方で、誰にも見送られずに亡くなる方が多いのも事実。そういう方に関しては、最後の一息を現世の人間が見届けるという意味で1の方がいいのかな、と思わないわけではありません。

 

この一ヶ月で、看取りは、患者本人だけでなくご家族のためのものだと強く感じました。看取りは家族が患者の死を受容する重要なプロセスだと知りました。

「看取り」というと、キュブラー・ロスの「死ぬ瞬間」という本で述べられる、死の受容プロセスの話になりがちです。つまり、患者本人に焦点を当てた話となってしまいます。

 

患者さん本人が医療の主人公であるのですから、看取られる過程で死を「受容」できるかは重要な事なのでしょう。

ただ、冷たい言い方をしてしまうと、患者さんは亡くなってしまうわけで、残されたのはそのご家族。家族がきちんと見送りをしていると、「ああ、お父さんはなくなったのだな」とどこか腑に落ちた、表情をされますし、きちんと見送りしていないと、患者さんの死後に、心の澱を吐き出しそうな表情をされます。

このようなご家族の心情に触れると、看取りというのは残された家族のためのもの、という意味合いが大きいな、と思わざるを得ません。
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