投稿日:2017-05-15 更新日:
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研修医として病院で働いていて、「対岸の火事ではないな」というのが正直な感想です。
病院勤務者がサービス残業をしてしまう慣習は、全国各地の病院で根付いているのではないでしょうか。かといって、労働基準監督署が病院に入ってしまって、時間外労働の費用が支払われるとなると、病院は経営赤字に陥ってしまいます。そうすると我々は職を失ってしまうかもしれない、、、恐ろしい話です。それに、医療関係者の労働時間が制限されて一番困るのは、患者さん自身です。あまり、制限を強くしすぎてしまうと、日本の医療が崩壊してしまいます。
当直の労働時間の問題、サービス残業の問題について、ここではとりあげません。そもそも、労働基準法で労働時間は制限されているにも関わらず、医師法で応召義務が定められているのに、矛盾と言うか、なんかもやもやしたものを感じます。
医は仁義ですが、医師は労働者です
病院で働いていて、自分は医師として仁義を果たさなければならない、でも医師は労働者でもある、、、この両者の間を宙ぶらりんに行き来するのが実情です。まだ研修医を初めて1ヶ月あまりなので、どちらかというと「医は仁義」だと常日頃は感じていますが、それでも当直明けでへとへとなときは「僕も労働者やし、いたわってよぉー」と思ってしまいます。上級医の先生方からすると、「こんなやつ気合が足らん!!」と叱責されてしまいそうですが、これが正直な僕の気持ちです。。。ごめんなさい、、、
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この手の問題の話になると、いつも、
医療は需要は無限大であるが、供給すなわち医療資源は有限である
ということを実感します。
人は誰しも「少しでもよい医療を受けたい」と願います。そしてこの気持ちに罪などあろうはずはありません。どれだけお金を積んでも「少しでもよい医療を」と思う患者さんは多いです。この「少しでも」が患者さんの数だけ足し合わせると、かなりのamountになってしまいます。
その一方で、医師・看護師などのスタッフ数、ベッドの数、救急車の数、そして医療費、、、といった医療資源はつねに有限です。
つまり、医療において需要・供給バランスは極めて崩れやすいのです。
この問題を解決する方法は2つしかありません。
1)需要を減らす 2)供給を増やす
2)に関しては、医学部増設などで対応していますが、医師数はつねに増えている一方、医師の偏在等の問題でうまくいっていないようです。
1)に関しては、国民一人ひとりが「折り合いをつける」ことが大事です。大学生のとき病院実習をしていて、そして研修医としていまの病院で働いていて、80〜90歳の方が手術などの高度な医療を享受するのを目にしてきました。それはそれで良いことだと思いますが、将来長続きはしないと思います。
欧米の一部に見られる尊厳死を認める文化(語弊のある言い方ですが)が日本でも普及し、自然経過で亡くなるのを是とする文化が普及すれば、需要は穏やかになるのかもしれません。一昔前は「ガンの告知なんてありえないもの」でしたが、今では、ガンと告知は切っても切り離せないものとなっています。同様に、超高齢者に医療資源を投資しすぎることなく、安らかな死を迎えることを是とする文化は普及するかもしれません。このような文化に対する「国民的合意」が形成されれば、医療の需要・供給に関する問題は緩和されるのかもしれません。「国民的合意」ってなんやねん、と思いますが。。。
研修医の戯言を最期まで読んでいただいてありがとうございました。「難しい問題ですね」と言っているだけでは決して解決しない問題ですが、妙案が思いつかないのが苦しいです。
※2017/5/16 「安楽死」⇒「尊厳死」に書き換えました。
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必要なことは安楽死ではなくて、尊厳死ですね。
医師だけでなく一般的にも、その区別が出来る必要があります。
恥ずかしながら、ご指摘を受けて「尊厳死」「安楽死」という言葉の意味の違いを調べさせていただきました。ご教示いただきありがとうございます。
とある国立大学を卒業しとある市中病院で初期研修医をこのま4月より始めた息子の親です。のび太さんのブログを見ながら息子も同じように過ごしていれば安心です。離れていることもあり何をやっているのかよく知らないので、のひ太さんのブログは楽しみです。
コメント頂きありがとうございます。
僕自身、親に全然連絡しなくなってしまったので、気をつけなあかんなぁ、と思う次第です。。。
気が向いたときにでもお読みいただけますと幸いです。
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